小野幌連合会の歴史

草創期の小野幌地区の町内会 

①   江別村時代(大正2年まで) 

〇明治33年5月、小野幌、大曲地区から総代人として三坂観淨が江別村行政に参与(任期2年、定員2名)

〇明治35年二級町村制の施行により小野幌部落の区域が明確になる。

〇以後、小野幌部落の部長として秋本槌五郎が永年つとめたと考えられる。
 

白石村時代(大正2年以降)

〇昭和7年一級町村制施行に伴い「区政」となる。

昭和14年当時、小野幌区長一吉田作次、区長代理一野地貞治

〇昭和8年、小野幌区内の東組、西組、鉄北組、阿波組の各農事組合が合併して

「小野幌農事組合連合会」を結成。

〇「小野幌農事組合連合会」は農事関係以外の道路の補修や河川の清掃、住民生活向上等々、地域の発展のため、部落民の意思統一を図り、小野幌住民の代表として、先頭に立って活躍した。 

部落会時代

〇初代木内弥市以降、第9代佐伯金太郎まで

を部落会時代とし、およそ70戸前後の

稲作中心の農村地帯として、小野幌の部

落会時代を推移する。

・昭和26年3月、敬老会を始めて開催。

・昭和28年、佐藤弁蔵部落会長の時に、

 小野幌集会所(旧会館)建設、季節保育

所開設。 

・昭和26年3月、敬老会を始めて開催。 

・昭和33年、自警消防団を作って活動 

 



小野幌連合町内会の創設

 〇昭和38年、「部落会」を「小野幌町内会」に改称。

・昭和38年3月8日、第9代部落会長佐伯金太郎召集の小野幌部落総会(議長樋 口重吉)の席上、昭和38年1月1日に遡って「小野幌町内会」と改称することが決定。

・小野幌町内会初代会長佐藤徳三、副会長 坂本登治、松井文次郎が選出される。

〇昭和40年代に入り、地域の宅地化が進むなど、時代の急激な変遷に対応するためには、単一の町内会では無理があった。

〇膨張著しい地域の人々のニーズも多様化し、きめ細かな地域づくりを目指すべく、 単位町内会の連合が図られた。

〇昭和48年、小野幌町内会第11代明井雅雄会長の時、当時7つの農事実行組合単位で組織されていた7町内会が連合して「小野幌連合町内会」が創設された。

「小野幌連合町内会」創設時の7つの町内会町名 

・小野幌東町内会 ・小野幌西町内会 

・鉄北東町内会 ・鉄北西町内会 ・越中山町内会  

・学田町内会 ・しんたく町内会 


(町内会名豆知識)

 

〇越中山町内会

 明治26年以降、富山県(越中国)

 からの移住者が入り始め、開拓に励んだ越中の人々が多かった。

〇学田町内会

学田とは学校の経費に充てるための田畑や山林のことで明治時代、学校の維持費は地元負担であった。学田林で炭、薪材を生産してその費用に充てた。道立博物館付近に白石村の学田があった。

〇しんたく町内会

 新拓は新しく開拓された土地の意味で戦後緊急開拓として野幌国有林内に入植した人が開拓した地域。


【小学校の校舎として50余年、小野幌会館として30数年の役割を果たした旧小野幌会館の昭和60年解体を目前にした写真】
 

小野幌連合会の現状と役割

 

かって農村地区だった小野幌地区は、昭和47年の副都心開発基本計画決定に伴い、主要幹線の道路整備がなされ、昭和50年代から60年代にかけて著しい住宅団地造成が進められ、一千戸を越す団地が形成されました。

小野幌連合会は開拓以来古くからの永住者世帯と宅地開発によって居住された新興住宅世帯との混在した地域ですが、新旧の町内会が非常に和やかに連携、まとまった連合体となっています。